宇宙遊泳

スホさんとEXOについての独り言

Curtainを聴いて感じたこと

f:id:myuniverse:20170204160642j:plain
f:id:myuniverse:20170204160657j:plain
f:id:myuniverse:20170204160715j:plain
f:id:myuniverse:20170204160731j:plain
f:id:myuniverse:20170204160756j:plain
f:id:myuniverse:20170204160810j:plain
f:id:myuniverse:20170204160832j:plain
f:id:myuniverse:20170204160854j:plain
f:id:myuniverse:20170204160922j:plain
f:id:myuniverse:20170204160940j:plain
f:id:myuniverse:20170204160949j:plain
f:id:myuniverse:20170204161021j:plain
f:id:myuniverse:20170204161040j:plain
f:id:myuniverse:20170204161102j:plain
f:id:myuniverse:20170204161117j:plain
f:id:myuniverse:20170204161144j:plain
f:id:myuniverse:20170204161202j:plain
f:id:myuniverse:20170204161219j:plain
f:id:myuniverse:20170204161241j:plain
f:id:myuniverse:20170204161300j:plain


思わず目を閉じて聴き入ってしまうような歌声だった。私の言葉では拙すぎて、この素晴らしさを表現しきれない。この歌を私なぞの余計な言葉で説明すること自体が無駄に思える。ただこの曲に耳を傾けていれば、言葉で説明しなくたってそれで十分なのである。しかし、それでも私はこのときの感覚を忘れたくないので、感じたことを書き留める。カーテンや駒、秒針というモチーフそのものについての考察は前回行ったので、今回は省略する。



こんなにも、澄み切って、純真無垢で、透き通っていて、綺麗な歌声がこの地球上にあっただなんて。

用事があって早起きせねばならず公開と同時に聴くことはできなかったが、朝4時に起きて、布団の中でこの曲を聴き終えて、改めてそう思った。涙が流れた。ほんとうに、ほんとうに、綺麗だった。

出だしは、静かに、優しく、儚く揺れる声が響く。少しかすれたこの声が、私の心を震わせるように、本当に感じる。胸の心臓の下あたりが、じん、と震える。まさに心の琴線に触れると言った感じである。今聴き返しても、この繊細なビブラートを聴いていると、わけもなく涙が出そうになる。

高音が続いていく。真っ直ぐに、伸びて広がる。スホさんの綺麗な高い声が、耳の中に流れてくる。心地よい。清水が流れるかのようだ。ただひたすらに透明なそれは、私の心に染み入って、一切を洗い流す。それでいて、ずっと聴き入っていると、息が苦しくなるような切なさが押し寄せる。その切なさこそが、美しい。

強く歌ったあとの、声が途切れる直前、息が抜ける時に一瞬だけ高くなる声が、艶やかで、瑞々しい。いつものことではあるが、今回はやはり特に、言葉ひとつひとつの発音が丁寧で、感情が滲み出るような声色である。サビでいえば、「のるたしぼるすいっするか」の「か」とか、「まちゅどんのれ」の「れ」とか、「curtain」の「tain」などがその例だ。この発音が、とてもいい。最後の音は全て、決して投げ出さず、包み込むような印象である。本当に、一語一語を大切に歌っているのだな、と感じる。

ファルセットは、今までも何度も思ったことであるが、言葉を失うほど美しい。体が宙に浮くような、天に昇るような感覚になるのである。これは本当に言葉では表現出来ない。

3サビでは、息が混じったかすれ声が哀愁を誘う。やはりここでも、思わず目を閉じてしまう。他に何も考えずに聴きたくなる。

何の雑念や、夾雑物のない、これ以上どう綺麗になれば良いのかという程の透明感だ。空気よりも透明に、それは私の中のすべてを覆い尽くす。

豪華に煌めく宝石というよりは、何の混合物もない純度100%の水晶のようである。太陽の光を受ければ、それは虹色の光の欠片を散らばらせる。何も無かった白い壁が、虹色に色付く。スホさんの声それ自体は磨き抜かれたプリズムで、その声が私に与える感情の世界は、虹色なのである。本当にさまざまの感情が私の中に生まれるのだ。

ああ、言葉が出ないほどの感動というのは、こういうものなのか。頭の中が澄み切って、余計なことは何も考えられない。

これほどまでに透き通る声は、どんな歌詞でも、美しくしてしまうだろう。どんな歌詞でも、心に深く染み込んで、感じさせるだろう。

これほどまでに、スホさんの声は、深く、私のこころに触れている。

うろ覚えだが、スホさんが何かのインタビューで、「小学生の時、あるドラマを見て、それに出いていた俳優のようになりたいと思った」というようなことを言っていた気がする。「何かを伝えられる人になりたい」という夢を、彼はそのときに抱いたのだろう。ああ、スホさんが、幼き頃に初めて抱いたであろうその夢は、今までにもたくさんの場所で叶えられてきたのだろうが、今回だけは、そのすべてと比べても、特別なのだ。今、ここで、その夢は、確実に体現されているのだ。その夢は、十分すぎるほど、私の、そしてこの歌を聴いたすべての人のこころに触れて、何かしらのものを感じさせて、大いに叶い得たのである。なんと喜ばしいことであろう。

これは、人混みの中とか、電車の中とか、そういう雑多な、俗物の多いところで、ぞんざいに聴けるものではない。一切の俗世間から離れて、周りにあるのは自然だけの場所で、自分以外に誰もいない、人工物の一切ない、真冬の、きんと空気の澄んだ星空の下で、深呼吸をしながら聴きたい曲だ。或いは、夜、人の少なくなった静かなカフェで。この歌だけのために意識のすべてを向けて聴きたい、そんな曲である。

そんな、神様の贈り物のような、宇宙の奇跡としか思えないような、スホさんの歌声だった。

画面の中のスホさんも、彫刻のように芸術的で美しい。僅かに顰めた眉が影を刻み、憂いを感じさせる。過去に愛した人を今もただ想い続ける心に、深く感じ入っているように見える。そんな風にして、美しい人が、美しい声で、美しいメロディーを歌っている。こんな陳腐な表現しか出来ないのが非常に悔やまれる。スホさんの尊さは、こんなものではない。

どうしたらいいのだろう。スホさんの尊さが、私には抱えきれない。自明のことではあるが、それでも敢えて言いたい。スホさんは、果てしなく、どこまでも尊いオールトの雲のその先の宇宙よりももっと果てしない。完全に私の、いや人類の処理可能領域を超えてしまっている。スホさんは、すべてを超越する存在である。



歌詞を調べて、また色々と考えた。作詞はスホさんではないと思われるが、私たちファン、あるいはスホさんの周りの人が描いているであろう「スホさん」の偶像を追求したような歌詞であるように感じた。純粋で一途でありながら、やはり孤独で、哀愁の色濃い愛の歌詞だ。この歌の風景には、「君」は「僕」のそばにいない。

これはやはり、彼の中のたくさんの「大切なもの」への思いとも取れるようであった。ファンに向けてという風にも取れる。そう捉えると、「このまま僕と一緒にいてくれる?」という部分が、スホさんの心の中で回り続ける駒を象徴しているのだろうか、などと思ってしまう。

またこの歌詞は、スホさん自身の、駆け出した頃の過去ともうその頃には戻れないほど変わってしまった現在という対比とも、もしかしたら取れるかもしれないと感じた。失ってしまったものへの、消えない愛。ひとりで想い続ける、孤独な愛。そのように考えると、顔をおおって泣きたくなる。

これを歌った時、彼はどんな気持ちだったのだろう。何を思って、歌ったのだろう。初めてのソロ曲だということに対する喜び、緊張感は想像できる。また、歌詞から感じられる想いを表現するために、その気持ちに傾倒しただろう。スホさんはそういう人だと思う。そうすると、やはりこの歌を、ただ単に歌った訳ではないのではないか、そんな風に思ってしまった。
しかし、スホさんの本当の心はこんなものだけではないだろう。スホさんの心の内には私なんぞには想像もつかぬほど、様々な思いがあるに違いない。ああ、やはり私は、限界があることを知っていながら、思いを馳せる。



曲調そのものについても考えた。始まりは静かに、心地よい穏やかさを持ったピアノの旋律から入る。しかし、歌が始まる直前、途端に暗い雰囲気になる。悲しさを表現するようなそれはサビ前まで続くが、「もう二度とないということ」の部分で、再び変調する。そこからのサビ部分は、希望の感じられるような雰囲気だ。その願いにあるのは、辛い感情というよりはむしろ純粋な希望なのではないかと感じさせてくれる曲調だと思った。曲の最後は、曲の最初と同じメロディだが、最初よりも1オクターブ上から始まって、優しく終わる。このとき、装飾感の強いきらびやかなピアノではなく、ただ真っ直ぐに終わるのだ。この終わり方が、とてもこの曲に合っていて、好ましく感じた。

この曲は、聴けば聴くほど好きになる曲である。インストゥルメンタルverも一緒に購入したのだが、買ってよかったと心から思った。この2曲をずっとリピートしていると、自分がこの曲をどんどん好きのなっていくのがわかった。しかし聴きすぎてこれが当たり前になってしまわぬように、感動が薄れてしまわぬように、大切に聴いていきたい。



MVに焦点を当ててみる。最後まで「会えるかな」「愛してると言えたら、一緒にいてくれる?」と言っている歌詞とはまた別のものとして、MVでは、最後に想い人と会うことができ、駒が転がり秒針も止まる。しかしそれは、終わりを意味するものではないと思う。

というのも、私はティーザーの時点では、駒や秒針といったモチーフから、かなりセンチメンタルになっていた。しかし、この歌を聴き終えたあと、ティーザーのときに感じたものとは少し違う感情を覚えたのだ。最後に駒が転がる場面は、私が案じたほど悲しいものではなく、あるべきところに落ち着いたというふうに受け取ることができた。だって、最後に彼は愛する人に会えたのだから。会えたところで、駒が止まり、秒針も止まるのである。ある人を忘れられず、ひとりで一途に思い続けてきた時間が、終わる。そこからは、また別の秒針が動き出し、彼はまた新しい駒を回すのかもしれない。何とも言いようのない安心感を、私はそのとき感じたのだった。


「華やかな舞台」、「孤独な愛」、「光と影」という曲紹介の言葉からも、様々なものが浮かび上がってくる。「華やかな舞台」が、彼のアイドルとしての姿を思い浮かばせ、「孤独な愛」は歌詞に表れているように、スホさんの中に潜在する孤独を感じさせる。「光と影」は、昨年のW Koreaのexoclusiveの特集の際に、スホさんのキーワードとして表紙に載ったものでもあった。輝いているのに、やはり何か暗いものを抱えていそうだという二面性は、私が取り立てて言うまでもなく、もうずっと前からスホさんのイメージとして多くの人に印象づいているのである。光と影。対立するはずのその二つは、スホさんという一人の人の中に、いつもある。こんなにも美しいアンビバレンスが、他にあろうか。



感じたことを気の向くままに綴ってみた。こんなにも美しい歌のすべてを表現することなどできないとはわかっていたが、案の定、無駄に長い上に総じて安直な考えしかできず、自分の無能さを思い知ることになった、「Curtain」の感想であった。この、果てしない尊さをどう表現したらよいのかわからず、非常にもどかしい。しかし、後悔はしていない。スホさんを想って言葉を綴るというのは、私にとってこの上なく幸せな時間なのだから。



記念すべき自身のソロ曲公開の瞬間を、スホさんはスイスで迎えたようだ。用事があったためスホさんがvliveをしていたことを知らず、帰りのバスの中で気づいてあわててリプレイを見た。let it goをBGMにして始まり、途中で音量を下げるという安定のエクチェルっぷりもさることながら、純白の雪山を背景にあの穏やかな表情でファンに語りかけるスホさんの姿が、あまりにも尊かった。とりあえずもう色々な感情が溢れ出して画面の前で口を抑えていた。背景の雪はスホさんの心の色なのだな、と勝手に納得した。「本当に、皆さんに捧げる歌です。」という言葉が、一番私の胸に訴えかけた。そんな言葉を聞いたら、止まったはずの涙がまた溢れ出してしまうではありませんか。ああ、これだからスホさんは、果てしないのだ...

スホさん。本当に、おめでとうございます。予想していた以上の感動に包まれて、今、私は天にも昇る心地です。あなたの歌声は必ずや、多くの人に感動を与え、その心に刻まれることでしょう。スホさんは、やはり奇跡の存在なのです。そんな奇跡の存在を、この目で、この耳で感じることができるということもまた、奇跡それ以外の何物でもないのです。
これからも、スホさんが素晴らしい道を歩めますように。これからもずっと、たくさん愛されますように。