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宇宙遊泳

スホさんとEXOについての独り言

推しの髪が刈られる件について

EXO界隈、広く見ればk-pop界隈のファンはしばしば、推しの髪の毛が予想外の短さになったり、いきなり刈り上げられた時、「刈られた」と表現する。この言葉は「悲しい、辛い」といった感情と共に多く用いられ、「スタイリストのせいで」そのヘアスタイルを強いられた推しに動揺を隠しきれない様子が頻繁に見受けられる。別に髪を刈らずとも、ちょっと受け入れ難い髪型の場合(オールバックやかなり昔っぽいヘアスタイルなど)も同様に、その有様を「スタイリストのせいにして」悲観的に論うのである。また、これは衣装に関しても言えることである。

しかし、私はその髪型を「スタイリストのせい」とする発言にたびたび違和感を覚える。
なぜなら、髪型の決定は、必ず推し本人の意向に沿って行われる行為であるからだ。なぜそこまで言いきれるかと言うと、彼らは芸能人であるため、自分の魅力を最大限に引き出すことにおいては誰よりも長けているし、そのためだけでなく、自分の好みの髪型をしたいと思うだろうからだ。自分が嫌いな髪型で、活動するわけがないのだ。そうだとしたら、自分がしたい髪型、似合うと思う髪型をするに違いない。提案された髪型だとしても、自分が納得しなければ、その髪型にはしないはずだ。好きじゃないのにその髪型を承諾するだろうか?それはほとんど有り得ないと思う。
つまり、彼らが「刈られた」「前髪全部あげられた」としても、それは本人がそうしたいからそうしたのであって、決してスタイリストの判断のみでそうされたわけではないだろう、ということだ。
ここで、「刈られる」という表現や、スタイリストを非難することのおかしさという問題にに立ち返る。確かに彼らは物理的には「スタイリストに刈られている」かもしれないが、実際は自分が「刈られたくて刈ってもらっている」のである。前髪全上げ、オールバックも、彼ら本人がしたくてしている髪型なのである。

また、「また刈られてる、泣くしかない」「前髪全部上げさせた人出てこい」みたいなことをいう人が非常に多いと感じるが、それはすなわち、推し本人が好きでした髪型を「嫌いだ」と言っているの同じことなのである。先にも述べたが、自分が嫌いな髪型を本人がするはずがない。「短すぎ、はやく髪の毛伸びて...」「かっこよくない…」などと言われているのをみた推し本人達は、どう思うだろう。皮肉にも、否定的なことを言われるのに慣れてしまっている彼らだから、ああこの髪型が嫌いな人もいるんだとか、不評だなとか思うだけで済むかもしれない。自分が好きでやった髪型だけど、一部の人には受け入れてもらえないのだな、と。もちろん、全員に好かれることができないのは当然だ。価値観は人それぞれだから。しかし、それでも私は問いたい。あなたたちは推しをそういう風に思わせたいのか?普段からこれ以上ないほど愛している推しに、そんなことを思わせても構わないと、本当に思えるのか?

日本人は大抵日本語で発言するから、そのアイドルが日本語に詳しくない場合、本人に直接伝わることはほとんどないと思われるが、だからと言ってなんでも言っていいというのは非道徳的だろう。何より、これを口にしているのは、アンチではなく、あくまでも、彼らを心から愛するファンなのである。堂々と「彼らを愛するファン」を名乗る者にとって、彼らの意向を侮辱するような物言いは、相応しい行為とは言い難いものではないだろうか。

「別に悪口ではないし、ただ少し気に入らないだけだ。誰でも、好きな人にだって文句の一つや二つ言うだろう。そんなことも口にしてはいけないないのか?好きなことを自由に言えるのが言論の自由というものだろう。」このような反論が予想される。
断っておくが、私は、「推しの髪が刈られてて悲しい」といった類の発言をするな、と言っている訳では無い。文句を言わず受け入れろ、と言いたい訳でもまったくない。「どんな推しの姿も永遠に愛する」がモットーの私自身さえ、推しの髪型に動揺したことがあるし、受け入れようとするのに時間がかかることもある。たまに最近で1番かっこいい髪型をしている推しを見ると、それはもうとてつもなく興奮する。
また、どんな髪型を好み、どんな髪型を嫌うかというのは完全に個人個人の嗜好の問題であるため、私がとりたててこの違和感について論じるのがナンセンスであることは承知している。

それを踏まえた上で、それでもここまでこの問題の本質に迫ってきた理由は、ただひとつだ。
推しが刈られたことを嘆く人々には、「どんな髪型であろうと、それは彼らの意思に基づくものである」という事実を、意識してもらいたいのである。そして彼らの新しく刈り上げられた髪型を見て「また刈られてる泣きたい」などと発言することは、「彼らの好きなものを、嫌いだと言っているのと同じ」であるということを、ただ、認識してほしいのだ。
この事実を踏まえた上で、それでも良いと思うのなら、そのままでいっこうに構わないと思う。自由に、自分の思う推しの理想像にすがり、そこから少しでも外れればあれこれ文句をつけるのは、いいことではないと思うが、悪いことでもない。しかしこの事実に気づいて少しでも何か感じたものがあったのなら、自身の発言を少し振り返ってみるのも悪くないのではないかと思う。私のように、本人でなくともその批判を見て気分を害する人がいるということも加味してほしい。ツイッターなどのSNSは全世界に向けて、不特定多数の知らない人に対して公開されているということを忘れてはならないと思う。

評価という問題に転じれば、評価というのは賞賛と批判があってこそではないか、と言われるかもしれない。悲しいことだが、確かに批判も、彼らには必要だ。アイドルにとって、自分に対する批判を目にすることで、自分の客観的なイメージを知ることが可能になるからである。しかし、それが私達ファンの仕事なのだろうか。自分たちは彼らを戒め、諭し、悪い部分、気に食わない部分を改善させるために存在している、と思っているファンはほとんどいないのではないだろうか。もちろん、そのアイドルが過ちを犯した場合には過剰に擁護するのではなく、悪いことは悪いという考えを持って適切に反応することも必要である。しかし髪型とか衣装といった小規模なものにおいては、その必要性は感じられない。ただ純粋に、彼らを愛し、暖かく見守り、いつでも応援する…ファンの大半はそんな存在なのではないだろうかと私は思う。そうであれば、それに相応しい応援の仕方ができたら良いのではないか、というのが、私の考えである。