宇宙遊泳

スホさんとEXOについての独り言

私の星

ああ、あんなに高貴なお方の心中を考察するなぞ烏滸がましいと思うのだが、それでも、その思考に少しでも近づきたい、少しでも彼の心を感じたい、と思ってしまう自分が止められない。

烏滸がましいことではあるが、しかし、それは私の中のスホさんという物語の一ページをめくる行為であり、それをすることが私の喜びなのである。その物語は、私にたくさんのものを与えてくれる。
彼という奇跡の人物がどうやって生きていくのか。どうやって強く貴い心を保つのか。どうやって、人を愛し、愛されるのか。どうやって、途方もない苦難に立ち向かい、夢を失わず、追い求めて走り続けるのか。そこで彼は何を感じ、何を表現したいと思うのか。

彼という人物の生きざまを見つめ続けることは、私の人生の道しるべとなり、目的地を教えてくれる。導きの星なのである。

真冬の夜空に輝くシリウスのように、それは周りと比べても一際明るく、白い光を煌々と放つ。見上げればいつも一番明るく輝き、進むべき道を示し、照らしてくれる。何度も私を導いてくれたその光を、私は一生見失うことはないだろう。

その星に少しでも近づきたいと、こうして手を伸ばす。彼という人の奥深さを感じる度、心が震える。私はこれからも、届かないと知っていながら、あの星ある場所に手を伸ばし続ける。

全部わかってるスホさん

最近、「おっぱは全部わかってるよ」というスホさんの言葉が頭から離れない。そうだ、スホさんは、ファンのコメント一つ一つ、すべてわかっているのだろう。その言葉通り、きっとほとんどすべての言葉を、見ているのだろう。
私たちが感じていること、伝えたいこと、きっと全部わかってくれているのだろうと思う。私は手紙もプレゼントも直接送ったことはないのに、なんだか、本当に私の心の奥の気持ちまで伝わっている気がして、あったかいような泣きたいような気持ちになる。

スホさんは今回もドラマが世に出るのがすごく楽しみと同時に、少し不安だったんじゃないかと思う。ファンが自分を賞賛してくれることは期待できるが、それだけではなく、ファン以外の人に自分の演技がどう受け取られるか。
きっと、うじゅえびょりが放送された直後、スホさんはエゴサしまくったんじゃないだろうか。賞賛の声、愛してるの声がほとんどだったけど、たしかにネガティブなコメントもないことはなかった。ネガティブとまで言わなくとも、演技はまあまあかな、という声もあった。スホさんはそれを見てどう思っただろう。こんな経験、数え切れないほどしているんだろうな。ウジュが見たような、「死ね」みたいな最悪の批判も、きっと少なからず目にしてきたんだろうな。ああ、改めてそう考えると、あなたはなんて強い。それはスホさんだけでなく芸能人みんなだけれど、スホさんは、それに目を瞑らず、自ら受け容れようとするのだ。客観的に指摘してくれるコメントもあるから、と言って。ああ。あなたは、強い。
たくさんの批判を目にしてきた、あるいは今でも目にしているに違いない。しかしそんなことで弱気になったり悩むなどということは、彼らにとって非常に愚かしく野暮なことなのであろう。彼らには、確固たる自信と矜持がある。そんな些細なことをいちいち気にすることは、プライドに反するのだ。だから誰もそうならない。

スホさんは、「全部わかっている」のだ。ファンが、スホさんに伝えたいこと、伝わっているか不安なことも、心配する必要はない。全部、スホさんは見ている。

いっぽうで、スホさんが知るべきとは言い難いようなことも、スホさんは知ってしまっているのではないかと、私は本気で思ってしまう。
たとえば、1番の好例はRPS...。スホさん、どのカプが需要あって、どのカプがマイナーだけど、ひとつ一貫してるのは自分はほとんど受けであること...とか、すごく把握してそうなあたり、すごい怖い。。。他のメンバーはエゴサ自体あまりしないからそれに触れる機会なんてほとんどないだろうけど、スホさんは夜のベッドでエゴサが習慣になってそうだから、スホさんだけ妙に詳しいやつ...他のメンバーは寒気がしてその存在を意識するだけでも気分悪くなるけど、スホさんは意外と平気そうだったりしないだろうか、、?
本気でそのあたりを憂慮している私である。

話が脱線したが、とにかく私が言いたいのは、スホさんが「全部わかってるよ」ということには、何か色々な意味がありそうだ、ということなのだ。これは様々に捉えられると思う。
わかってるから、心配しないで。ちゃんと、伝わってるよ。という意味はもちろんだけれど、何を言っても全部見てるから、そのことを意識して発言してほしい。という意味もあるかもしれない。
スホさんが、何度もファンに「わかってるよ」と伝えた、その心理を、私は理解したい。

推しの髪が刈られる件について

EXO界隈、広く見ればk-pop界隈のファンはしばしば、推しの髪の毛が予想外の短さになったり、いきなり刈り上げられた時、「刈られた」と表現する。この言葉は「悲しい、辛い」といった感情と共に多く用いられ、「スタイリストのせいで」そのヘアスタイルを強いられた推しに動揺を隠しきれない様子が頻繁に見受けられる。別に髪を刈らずとも、ちょっと受け入れ難い髪型の場合(オールバックやかなり昔っぽいヘアスタイルなど)も同様に、その有様を「スタイリストのせいにして」悲観的に論うのである。また、これは衣装に関しても言えることである。

しかし、私はその髪型を「スタイリストのせい」とする発言にたびたび違和感を覚える。
なぜなら、髪型の決定は、必ず推し本人の意向に沿って行われる行為であるからだ。なぜそこまで言いきれるかと言うと、彼らは芸能人であるため、自分の魅力を最大限に引き出すことにおいては誰よりも長けているし、そのためだけでなく、自分の好みの髪型をしたいと思うだろうからだ。自分が嫌いな髪型で、活動するわけがないのだ。そうだとしたら、自分がしたい髪型、似合うと思う髪型をするに違いない。提案された髪型だとしても、自分が納得しなければ、その髪型にはしないはずだ。好きじゃないのにその髪型を承諾するだろうか?それはほとんど有り得ないと思う。
つまり、彼らが「刈られた」「前髪全部あげられた」としても、それは本人がそうしたいからそうしたのであって、決してスタイリストの判断のみでそうされたわけではないだろう、ということだ。
ここで、「刈られる」という表現や、スタイリストを非難することのおかしさという問題にに立ち返る。確かに彼らは物理的には「スタイリストに刈られている」かもしれないが、実際は自分が「刈られたくて刈ってもらっている」のである。前髪全上げ、オールバックも、彼ら本人がしたくてしている髪型なのである。

また、「また刈られてる、泣くしかない」「前髪全部上げさせた人出てこい」みたいなことをいう人が非常に多いと感じるが、それはすなわち、推し本人が好きでした髪型を「嫌いだ」と言っているの同じことなのである。先にも述べたが、自分が嫌いな髪型を本人がするはずがない。「短すぎ、はやく髪の毛伸びて...」「かっこよくない…」などと言われているのをみた推し本人達は、どう思うだろう。皮肉にも、否定的なことを言われるのに慣れてしまっている彼らだから、ああこの髪型が嫌いな人もいるんだとか、不評だなとか思うだけで済むかもしれない。自分が好きでやった髪型だけど、一部の人には受け入れてもらえないのだな、と。もちろん、全員に好かれることができないのは当然だ。価値観は人それぞれだから。しかし、それでも私は問いたい。あなたたちは推しをそういう風に思わせたいのか?普段からこれ以上ないほど愛している推しに、そんなことを思わせても構わないと、本当に思えるのか?

日本人は大抵日本語で発言するから、そのアイドルが日本語に詳しくない場合、本人に直接伝わることはほとんどないと思われるが、だからと言ってなんでも言っていいというのは非道徳的だろう。何より、これを口にしているのは、アンチではなく、あくまでも、彼らを心から愛するファンなのである。堂々と「彼らを愛するファン」を名乗る者にとって、彼らの意向を侮辱するような物言いは、相応しい行為とは言い難いものではないだろうか。

「別に悪口ではないし、ただ少し気に入らないだけだ。誰でも、好きな人にだって文句の一つや二つ言うだろう。そんなことも口にしてはいけないないのか?好きなことを自由に言えるのが言論の自由というものだろう。」このような反論が予想される。
断っておくが、私は、「推しの髪が刈られてて悲しい」といった類の発言をするな、と言っている訳では無い。文句を言わず受け入れろ、と言いたい訳でもまったくない。「どんな推しの姿も永遠に愛する」がモットーの私自身さえ、推しの髪型に動揺したことがあるし、受け入れようとするのに時間がかかることもある。たまに最近で1番かっこいい髪型をしている推しを見ると、それはもうとてつもなく興奮する。
また、どんな髪型を好み、どんな髪型を嫌うかというのは完全に個人個人の嗜好の問題であるため、私がとりたててこの違和感について論じるのがナンセンスであることは理解している。

それを踏まえた上で、それでもここまでこの問題の本質に迫ってきた理由は、ただひとつだ。
推しが刈られたことを嘆く人々には、「どんな髪型であろうと、それは彼らの意思に基づくものである」という事実を、意識してもらいたいのである。そして彼らの新しく刈り上げられた髪型を見て「また刈られてる泣きたい」などと発言することは、「彼らの好きなものを、嫌いだと言っているのと同じ」であるということを、ただ、認識してほしいのだ。
この事実を踏まえた上で、それでも良いと思うのなら、そのままでいっこうに構わないと思う。自由に、自分の思う推しの理想像にすがり、そこから少しでも外れればあれこれ文句をつけるのは、いいことではないと思うが、悪いことでもない。しかしこの事実に気づいて少しでも何か感じたものがあったのなら、自身の発言を少し振り返ってみるのも悪くないのではないかと思う。あまりにそいいう批判的な発言が多いと、私のように、本人でなくともそれを見て気分を害する人がいるということもできれば知っていてほしい。ツイッターなどのSNSは全世界に向けて、不特定多数の知らない人に対して公開されているということを忘れてはならないと思う。

評価という問題に転じれば、評価というのは賞賛と批判があってこそではないか、と言われるかもしれない。悲しいことだが、確かに批判も、彼らには必要だ。アイドルにとって、自分に対する批判を目にすることで、自分の客観的なイメージを知ることが可能になり、改善点があればその意見を改善に役立てることができるからである。しかし、そればかりをすることが私達ファンの仕事なのだろうか。自分たちは彼らを戒め、諭し、悪い部分、気に食わない部分を改善させるために存在している、と思っているファンはほとんどいないのではないだろうか。もちろん、そのアイドルが過ちを犯した場合には過剰に擁護するのではなく、悪いことは悪いという考えを持って適切に反応することも必要である。しかし髪型とか衣装が気に食わないとき、毎回絶対にそういう趣旨の発言をする必要は、果たしてあるのだろうか。ただ純粋に、彼らを愛し、暖かく見守り、いつでも応援する…ファンの大半はそんな存在なのではないだろうかと私は思うし、自らをそう捉えている人のほうが多いと思う。そうであれば、それに相応しい応援の仕方ができたら良いのではないか、というのが、私の考えである。

嗚呼、カイスホ

カイスホモーメントがあると、私は途方もない喜びを感じ、興奮すると同時に、どうしようもない悲しみに包まれる。

何故か。
カイスホそれ自体が私に与える感情は、私にとって好ましい感情である。ある時は彼らの無限の愛を知り、こんなにも彼らがお互いを思いやっているということが愛しくて、ほっとしてあたたかい気持ちが溢れる。ある時はこれまで彼らが共にしてきた時間を思っては哀愁に包まれ、その哀しさこそが美しく趣深い、そんな物語に思いを馳せる。カイスホの作り出すどんな感情の一ページにもしみじみと感じ入って、それを私は楽しんでいる。

それとは別に、カイスホが、もはや傷ついてしまった元カイスホシッパーの心の傷を抉ることが、私にはどうしようもなく悲しいのである。
傷つき、それでも心の痛みを何とか吐き出し、「殺してくれ」と言い、あるいは「何度も死んで」、打ちひしがれている。

ああ、何故なんだ。何故あなたたち2人は、そんなに彼らを苦しめるのか。
もちろん、ふたりにはなんの否もない。
彼らも、2人が紡ぐその一瞬がこの上なく愛しく、美しく、奇特な瞬間であることを痛いほどよくわかっているのだろう。
しかし、だからこそ、苦しいのだろう。あんなに輝いていたもの、それは今でも変わらない、しかし彼らの心は変わってしまった。事実はいつも残酷である。どんなに彼らが苦しもうとも、またもう一度、とどめを刺すかのようにそれは訪れる。

タイタニックの真似をするという指示のくじを引いたスホさんは、カイくんを指名した。スホさん自らカイくんを選択した。カイくんは最初こそ恥ずかしそうにしていたが、スホさんが「手はここ!脇の下やめて!」としきりにいうのに、脇の下を故意に何度も触っていた。お兄ちゃんにいたずらしたいね。困らせたいね。それともやはり変態か。どっちにしろ可愛すぎないか。このふたりは、改めて、仲が良すぎないか。相思相愛じゃないか。こんなに幸せそうにしている。私はものすごく嬉しかった。にこにこしてじゃれあっているふたりがとても楽しそうで、私も幸せだった。ふたりが幸せなら、私は否応なく幸せなのだ。

そんな呑気な考え方を出来ないのが、彼らなのである。彼らのような人たちが、素晴らしい小説家になるのではないかと思う。私なんかよりもよほど深い感情を、カイスホに持ち合わせていらっしゃるに違いない。そんな方々は、ふたりが楽しそうに笑いあっているのを簡単に喜べないのである。
きっとこの日のタイタニックも、彼らにとっては原子爆弾くらいの衝撃だったのかもしれない。
「もうこの心は何度も死んだのに、また殺すというのか、それならいっそのこととどめを刺して終わりにしてくれ、お願いだ、傷が痛くて仕方が無いんだ、ひと思いにやってくれ...」

ああ、しかし、これはなんと嘆かわしいことだろう。以前まではみな肯定的に楽しめたものを、今では一様に肯定的に捉えることが出来ない。私と彼らの間にはある種の壁がそびえたち、私はこの、のっぴきならない状況に身を任せるしかない。私自身が、私の中だけで楽しむことは出来る。しかしそれを以前のようにみんなで共有したり、彼らの目の前でカイスホに関して思ったことを吐露することがもはやできなくなってしまった苦しみは、どうにもならない。
誰かがカイスホを見て苦しむということが、私にとって、ただただ、虚しく悲しいのである。

ソウル歌謡大賞 2017.1.19

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(これが、最後かもしれない。)
みんな、そんな気持ちで、毎回ステージに上がっているのだろうか。

「僕の座右の銘が『後悔せずに生きよう』ですが、今までで一番後悔していないことはEXOになったことです。」
スホさんの言葉だ。
この言葉だけで、彼の抱えている思いがよくわかる。
スホさんにとっての、後悔。
数え切れないほどの後悔をしているのだろう。スホさんはそういう人だと思う。
そんな彼が、そう言った。
なんて、この上なく喜ぶべきことだろう。これよりも喜ばしいことが、他にあろうか。
彼がそう思ってくれているのなら、私はそれだけで幸せだ。

「僕達の愛するEXO-Lと出会ってこうやって舞台に立つことが出来て本当に幸せです。」
最近で一番、心に響いた気がした。自分がEXO-Lであることを実感した。自分が、彼らの愛するEXO-Lであることを誇りに思った。

「本当に誇らしいです。ありがとうございました。」
ベッキョンの言葉。(だったと思う)
私も、彼らが誇らしい。自分がEXOというグループを応援しているということが、誇らしく素晴らしいことに思える。
「ありがとうございました」という言葉には、ここまで愛してきてくれたことに、本当に感謝しているのだろうなと感じる。
これからももちろん愛するつもりだ。でも、過去形でそう言われると、彼は終わりをいつもいつも想定しながらいるのだろうか、と、どうしようもなく虚しくなる。そしてそれは彼だけでなく、メンバー全員が感じているのではないか、と。
彼らは実際に、これからも記録を作っていきたいと言っているが、スホさんはきっと、誰よりこれが永遠でないことを感じているのではないかと思う。
だからこそ、「ジェクスキス先輩の舞台を見て涙が出そうになった」のではないかと思う。ああ、彼らのように、僕らもなりたい。何年経っても、愛され、舞台に立てるグループに、と。

彼らは満身創痍だな、と、ずっと感じてきた。多すぎる傷を抱え、幾度となく困難にぶち当たっても、何度だって立ち上がる。そうやって突き進む姿が、痛々しく、苦しいけれど、それでも、そんな彼らの姿はいつだって輝いているから、こんなにも美しい。
EXOが、好き。

そんなEXOにも必ずや消長があるだろう。しかし、輝いていたその瞬間は、絶対に変わらない事実なのだ。

だからこそ、彼らに、少しでも長く、先頭を走り続けてほしい。先頭でなくなっても、何十年先も、ずっとずっと見守っていきたい。
彼らは、いつになっても、私の宇宙だから。

HAPPY D.O. DAY 2017

チャニョル インスタグラムより

CY:ジョンソク兄さん元気してる..?
DO:wwwwwwwww
生きてるよ...
CY:そっか..
────2017年1月12日 木曜日────
CY:俺の友達ドゥヨナ、いやギョンスヤ お誕生日おめでとう 俺が1等(一番早い)でしょ?
DO:そうだよお前が一等だチャニョラww
ありがと♥
(返信が来た2分後にインスタにアップしたそうです)

ああなんか...もう...
まずギョンスが「wwww」とか頻繁に使うってところが意外で胸熱だし、最後。♥って使っちゃう...ギョンスってほとんど絵文字使わないと思ってた、というかそれであってると思う。
しかしここで♥を使ったっていうことは、「本当にありがとうね」っていう感謝の気持ちが込められてるんじゃないかな...って。チャニョルありがとう、お前のそういうところ好きだよ、って思ってるんじゃないかなって...(妄想)
これをスマホのキーボードで打ち込んでるギョンスさんを想像してみてください。布団に頭擦り付けて叫びたくなりません?私はなりました。実際にやりました。
チャニョルちゃん、ありがとう。あなたたちの日常のひとコマをこうして定期的に見せてくれるチャニョルちゃん、おりこうさん。あったかい。なかよしアピールしたいチャニョルちゃん可愛い。とうとい。

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改めて、D.O./ドギョンスさん、お誕生日おめでとうございます。ああ、もう、ドギョンスさん、好きです。好きすぎます。
感じたものを存分に表出し得る、巧みな表現力。チョコレートを溶かしたように甘く包み込んで繊細な音階やビブラートを刻む歌声。全てにおいて丁寧で繊細な振る舞い。見る者を惹き付ける、柔らかくたおやかな手の動き、かと思えばビートに刻み込む俊敏な動き。あなたの歌を聴き、踊りを見ていると、心があたたかく潤います。一度目にすれば「お」と目を引くような魅力が、あなたには確かにあります。
ぱっかりとまぶたを割る真っ白な目の中には、黒い天然石のようにきれいな瞳が、光を集めてきらきらと輝く。優しげかつ安心感のある、しっかりと生えた太めの眉。厚く柔らかそうな唇は笑うとハートの形になる。あなたの見つめる先はまるで宝石のように綺麗なものしかないのではないか、そんな風に錯覚してしまう、その横顔。
くしゃりと笑った時に目尻と眉尻が下がり、ぎゅうっと潰れて線になる目とハートの唇を見ていると、幸せで堪らなくなる。
確固たる信念を胸中に据え、そこからぶれることなくしっかりと進んでいくあなたは、とても格好いい。一見人よりおとなしいことが多いけれど、熱い意志が常に心の中で燃えているのだろうと思います。それだけでなく、少年の心を忘れない、無邪気で純粋なところが、屈託のない笑顔が、好きです。いつもじゃないけどいたずらも大好きだし、やられたらやり返すし、毒を吐くし、ちょっかいを出してくるメンバーには大体当たり強いし(笑)、そんなあなたが愛くるしくて、大好きです。
全員が口を揃えて一番男らしいのはギョンスだと言う程、心が広く気が利いて思いやりが行き届いているギョンス。健康が一番だ、といつもみんなの健康を祈っている、優しい人。人間性の成熟という点において、これ程までにお手本になるアイドルは、ほかにいません。

どうか、どうか。あなたの望む全てが上手く行き、あなたの進む道が輝きますように。
ドギョンスさんがこの世に生まれた、この尊い日に、祈ります。
お誕生日おめでとうございます。

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2017.1.12

プレゼントという概念

ジョンデとギョンスが、ファンに向けて「もうプレゼントをくれなくて大丈夫だ」という趣旨の投稿をしたのは、すべて彼らの優しさによるものだろう。

一生のうちに使い切れないほどの量のプレゼントを、毎回のように貰う彼ら。使わないのは勿体ないけれど、誰かのだけを使って、それ以外は使わない、なんてことは彼らには出来ない。それは、ジョンデも実際に言っていたし。

捨てることなどなおさらできない。溢れるほどのプレゼントは倉庫にすら収まりきらず、きっと途方に暮れてしまうのだ。こんなにみんなの気持ちがたくさん詰まったプレゼントを、選り好みをして使ったり、誰かにあげたり、捨ててしまったり、売ってしまったり、とにかくそんな、ファンの思いを踏み躙るようなことが彼らには出来ないのだ。だって、そのプレゼントたちは、すべて自分に使われることを望まれて贈られたのだから。

どうしようもなくて、彼らはプレゼントの山を前にして、立ちすくんでしまうのだろう。
きっとプレゼントを貰う度に、虚しくなるのかもしれない。

誕生日が近づくにつれ、憂鬱になるのかもしれない。誕生日を大勢が祝ってくれるのは嬉しいが、誕生日サポートとして送られてくる大量の贈り物を想像しては胸が塞がるのかもしれない。

綺麗にラッピングされた、高級ブランドの服、靴、鞄。自分の趣味や好みを的確に把握したものも多い。どれだけの財と愛をかけて選んでくれたのか、考えなくても痛いほどわかるのだ。

そんなファンの愛を思う時、心はとてつもなく苦しい。
そう思ってしまう自分が嫌だ、なんて、思うのかもしれない。

そんな状況が少しでも改善されればいいとの願いから、彼らはわざわざあのように、ファンに直接思いを伝えたのではないだろうか。

全部、彼らの優しさだ。
途方もなく広く深い優しさが、彼らをプレゼントの山の前で悩ませてしまうのだ。

なんだか、泣きそうになる。
「気持ちだけで十分嬉しいんです」
そう言っていた気がする。
「貰えるものは全部もらって、好きなものを使えばいいじゃん!」という俗的な考え方は、彼らにはできないのだろう。

彼らにとってのプレゼントという概念を知った時、彼らの優しさが、ひどく鋭く私の胸をつく。