宇宙遊泳

スホさんとEXOについての独り言

このブログについて

ご覧いただきありがとうございます。

このブログは崇拝系腐女子スホペンの管理人 屋上 が、EXOのリーダースホさんやメンバーについて個人的に思ったり考えたりしたことを独り言として書き留めるだけのブログです。
基本的に頭の悪いことしか書けませんが、強く、美しく輝く彼らに日々思いを馳せて、浮かんできた言葉たちをここに残しています。記事をご覧になる際には、以下の注意事項をご確認いただければと思います。

《ご注意》
管理人は腐っています!たまにスホさん絡みのなかよしCPについて色々書きます。CPの関係性について語ったり、メインがその話題じゃなくても文脈上でほんのりとCP描写をしたり、腐女子ネタを入れることがあります。
・あくまで「ただの独り言」で、自分の考えを述べるだけのブログです。基本的に、人に読んでもらうことを深く意識して書いているわけではありません。ここで述べていることは全て個人の意見であり、多少の偏見を含むものだとご理解ください。
管理人は文章が上手くありません。語彙力が乏しく、教養もなく、論理的に書くことができません。努力はしますが、グダグダな文章になってしまうことが多いと思われます。
・使用しているお写真は主にマスター様からお借りしています。クレジットは画像内のロゴにて。

以上の点をご了承いただいた上で、ご覧ください。

記事は、スホさんを中心に、EXOのみんなについてそのとき思ったことをあてもなく書き殴っただけのものから、真剣に考えて論じたものまでありますが、基本的にはまとまりなくだらだら語ったり、気持ちの整理や備忘録として更新していきます。

ブログ開設のきっかけや管理人の詳しい情報はこちらから→私の宇宙
(管理人の簡単な自己紹介からスホさん・EXOに対する基本的な考え、スタンスまで述べていますが、アホほど長いのでご注意ください。)

彼らは私の宇宙で、すべてです。これからもスホさんとEXOに幸せが訪れますように、いつも遠くから願っています。

私の大切な物語

私の言葉は、一見、スホさんのことを考えているようで、実は全部自分のためだ。あくまでも自己満足であって、スホさんのことなどかけらも考えていないのだ。
全部全部自分のためだ。彼らの為なんかでは一ミリもない。だから、私は、コンサートに行くと距離を感じて悲しくなるし、グッズもそんなにいらないし、ある事象を事細かに覚えていることに努めようとしない。

EXOに出会って、変わったのだと、ある人は言う。
私は、実は、出会っても、きっと根本は変わりはしなかった。
叶えられない幻想を、美しい夢を、大好きなものを、理想のものを、全部詰め込んで、浸っていたかっただけ。
その対象が、彼らだった。そうなのではないか。
変わったと、思いたかっただけではないか。理想を被せて、なりきっていただけではないか。
本当の自分は、誇れるものではない。
なのに、彼らを崇めることによって、自分の行為がまるで誇れるものかのように振る舞う。
ちょっと、度が過ぎている。自分に酔っている。

でも、自分が全く変わらなかったわけではない。
彼らを好きになったことで、まず、あらゆるものに対する見方が変わった。
世界には色んな人がいて、閉ざされた殻の中に閉じこもっていてはわからなかったことをたくさん知ることが出来た。
今まで理解してこようとしなかった様々な価値観を知るようになった。
色々な固定観念に縛られていた私の凝り固まった思考が、少しだけほぐれて、私の世界は広がった。
色んなことに興味を持つようになった。彼らを考え、語る上で、背景となる知識や教養は必須である。そういうことを、能動的に学びたいと思うようになった。
昨今の様々な社会問題すらも、「もし彼らだったら…」と置き換えて考えることによって、もっと身近なものとして捉えられるようになり、より大きな危機感と問題意識を持って考えられるようになった。

そして、精神の安定を得た。
こんなに素晴らしい人たちが、世界には存在するのだと、希望を持てた。
彼らのことを考えると、乾いた日常が色付いた。
苦しいとき、彼らを心に浮かべると心が安らいだ。
闇に溺れて抜け出せなくなった時、彼らは進むべき方向を教えてくれる一筋の光となってくれた。

そして、彼らを見つめる人々との、素晴らしい出会いを得た。
その人たちは、みんな真摯に彼らのことを考え、素晴らしい考えを持っている。そんな人たちと言葉を交わし、意見を交わすことができて、私の価値観も、世界も、幅が広がった。
出会った人から刺激を受けて、いろんなことを面白いと思うようになった。
とっくの昔に諦めて忘れかけていた、大好きだったものに対する熱意が、自分の中にまた生まれた。

そうやって、私の世界は広がった。それが意味するのは、私の人生が豊かになったということである。
これは、真実だ。

しかし、結局、そう思いたいだけなのかもしれない、という考えから離れることが出来ない。
都合よく解釈して、まるでそれが特別な存在であるかように、思い込みたいだけなのかもしれない。

でも、たとえ、私の感じる彼らの姿が、私の頭が勝手に作り出した幻想だとしても。
たとえ、私がいま見ていると思っているものが、虚像だとしても。

私は、あらゆる小さな面で、変わった。これは、真実だ。

自分の根本が変わっていないとしても、
変わったという実感を持ったのは真実だ。

だから、彼らという存在は、私にとって、ものすごく大きな価値のあることだ。

とても大切だ。
私にとって、それはどれほど価値のあることだったか。
それはどれほど、優しい場所だったか。

大切だ、たとえそれが幻想だとしても。

ごめんなさい。
何も知らないのに、勝手なことばかり言って。
ありがとう。
ずっと、そこにいてくれて。

私は、私の人生の大事な時期に、あなた達を見つめることができて本当によかった。

これからもずっと見ているから、みんな、どうか、いつも笑っていてくれるといいな。

カリフォルニアとスホさん

 スホさんはロサンゼルスがたいへんお好きであるようだ。SNSで情報を集めていると、長い休暇の度に、結構な頻度でロスに足を運んでいることがわかる。
 何故そんなに好きなのだろう、と考えた。

 私は実際に見たことがないのでわからないが、実際にそこに住んだことのある日本人が、カリフォルニアではいつも天気がよく、晴れた日の多くは、雲一つない快晴で、その空は見たこともないほど真っ青で驚くほど広い、と書いていたのを読んだことがある。それはもう、きれいだというだけでは済まされず、きれいという感動を通り越して、そのあまりの完璧な青さに、悲しくすらなってしまうほどだったという。日本の、雲の多く表情の豊かな空が恋しく思えたそうだ。(スホさんが生まれ育った場所の空も、アメリカの空と比べれば、日本とそれほど変わらないものだろう。)
 そのことを思い出した時、私はふだん、スホさんに、その光が一瞬であるかのような儚さ───印象派絵画を見る時のようなイメージである───を抱いてしまうけれど、スホさんの志すところは、そうではないのだと思った。彼は揺るぎない美しさに、そうでないものよりももっと心惹かれるのではないかと思った。
 たぶんスホさんは、カリフォルニアの空を見上げて、負の感情を持つことはないような気がする。一切が晴れ渡ったような、悩みなんて吹っ飛んでしまうような、爽やかな気分になるのではないか、と勝手に予想する。(彼のものの感じ方を表したこれまでのインタビューなどから考えると、それが自然であるように思う。)
 なぜ、スホさんがそういうものを、心から美しいと感じるのだろうか、と考えた。
 スホさんが、自分も含めて、人間がそんなふうに儚い生き物であることを、常に感じていると仮定する。そうだとすれば、それだからこそ、スホさんはカリフォルニアの、雲一つなく真っ青な、揺るぎなく完璧な空に、純粋に感動し、胸を打たれるのではないか。自分の住む場所にはない、開けた広大な空間と、息を呑むような壮大な景色に、惹かれるのではないか。そう思った。
 スホさんが永遠を信じる人だということも、それと関係がある気がした。きっと心の内で、永遠がないことを誰よりしっかりわかっているのだけれど、だからこそ、永遠を願うのではないだろうか。
 危ういもの、もろいものばかりの現実を、ただ単にそういうものだと感じて生きていくのでは、足元を救われそうになってしまう。
 地に足をつけてしっかりと踏みしめて歩いていくためには、簡単には届かない、むしろ、もしかしたら本当は手に入ることなどありえないかもしれないものへの理想を、胸に抱いて生きていくのが大事なのかもしれない。それが、夢だったり、希望だったり、願望であったりするのだろう。
 スホさんにとっての、そういうものの中のひとつが、カリフォルニアの空なのではないだろうか、と感じた。
 「諦める」という言葉は、スホさんにいちばん似合わない言葉だと思う。
 高い理想と確固たる信念、それらに対する熱心な気持ちと、そこへ向かおうとする自分自分に対する信頼を胸に持ち続けているからこそ、彼はあのように、強く進んでいけるのだと思う。
 そう考えると、スホさんがロサンゼルスを好きな理由のひとつが、なんとなく想像できたような気がした。
 スホさんはアメリカの話をする時に、空の話なんてしないし、前に空間としてのアメリカに関連したことを言っていたのはグランドキャニオンの話(友達と上半身裸になって岩の上を走り回ったというあの逸話)だけだったと思うし、アメリカには数え切れない魅力があるから、これが大きな理由ではないとは思うけれど、「空間としてのロサンゼルス、カリフォルニア」を思った時、私は、スホさんが、その空間、その雰囲気を丸ごと好きなのではないかな、と思った。
 屋上が好きで、開けた場所に行くのがストレス解消になると言っていたスホさんを思い浮かべた。

 ところで、スホさんとカリフォルニアの関係性を考えるにあたって、ネットでカリフォルニアの空について調べてみたところ、アルバートハモンドという人の「カリフォルニアの青い空」(1972年リリース)という歌があることを知った。
 この曲は、南カリフォルニアでは雨が降らないとよく聞くのに、来てみたら土砂降りだってあるじゃないか、そんなこと誰も教えてくれなかった、というニュアンスの歌詞が、明るくて少し懐かしい感じのウエスタン風の曲調に乗せられている。明るい期待と憧れを抱いてカリフォルニアにやってきたのに、いざ来てみると現実はうまく行かず、今も成功できないままでいる冴えないミュージシャンの気持ちを歌った歌だ。
 メロディからあまり想像のつかない、成功できない悲しさを歌ったこの歌のことを考えても、カリフォルニアの空は何か、明るすぎる青空の裏に、ある種の物悲しさのようなものを併せ持っているという感じを、人に与えるのかも知れないと思った。

 スホさんは、カリフォルニアの広大な大地と青く澄んだ空を見て、何を思うのだろうか。

 毎度のことながら、スホさんの心はぜんぜんわからない。私はたぶんスホさんについて10分の1も知らないし、スホさんは絶対に私が知らないことをとてもたくさん知っているし、スホさんの言動はかなり予想がつかない。それだけ、たくさんの可能性に溢れていて、いつも新しいものを見せてくれて、見ているだけでたくさんの発見があるのだけれど。
 私がこんなことを考えたって仕方がないことだし、たぶんなんの生産性もなく、意味の無いことかもしれない。
 でも、こうやってスホさんのことに思考を巡らすのは、楽しいことである。オタクだから。
 だから今日も、スホさんのことを考える。答えのない空想の旅は続いていく。

 スホさん、アメリカ楽しかったかな。のびのびと楽しんですっきりして充実した休暇を過ごして、幸せになれたなら、それ以上願うことはありません。

儚さというもの

 花火が本当に好きだ。
 あんなに綺麗なのに一瞬で終わってしまう。でもそれこそが儚く、美しい。
 桜とか、雲とか、しゃぼん玉とかも、同じ類の美しさがあると思う。

 あの一瞬の輝きのために、たくさん時間と手間をかけて、花火職人の人が火薬を詰める。あまりに一瞬だから少し勿体ないなと思ってしまう。
 でも、あの、燃える光の玉、ひと粒ひと粒の、動きと点滅がなければ、花火はあんなに芸術的に美しくはならないのだろう、と思う。ただずっとそこで光っていたら、黒い壁に貼り付けられた電飾と同じなのだから。
 桜も、ただずっと咲いていたら、造花と変わらない。雲も、そこに同じ形でずっとあったら、ただの綿。しゃぼん玉も、ずっと同じ色、形で、触っても割れないとしたら、それはただのガラス玉。

 ひとりの人間としてのアイドルもまた、同じなのではないかと思う。
 私はどうしても、永遠に存続することを願ってしまうことがある。
 でも、彼らは、流れゆき、変わり続ける、無常の時を生きるからこそ、あんなにも美しい。
 それを、一言で言えば儚いというのだろう。ときに、そこに伴う感情を、切ないとか、かなしいとか、さみしいとか、表現することもあるかもしれない。

 確かに、アイドルを見つめ続けることは、ただ気持ちのいいことばかりではない。ほんのちょっとのことで、いとも簡単に、夢は崩れ去ってしまう。勝手な思い込みが悪さをすることもある。
 でも、ずっと同じだったら、きっととてもつまらないだろう。容姿もステータスも変わらないままだったら、それは作り上げられた空想の範疇を超えない。
 思いがけないことが起こるからこそ、生身の人としてこの現実世界で生きている彼らを実感できるのが面白いし、存在してくれていることがありがたい。
 そうは言っても、アイドルは夢を与える仕事だ。夢を与えなければアイドルではない。だから、私たちが彼らに理想や夢を抱くのは当然だ。そうなるように仕掛けられているのだから。
 夢を見させることを仕事としながらも、それが完全にかなってしまったら人間ではない。
 そう考えると、アイドルとは幻想と現実の不安定な狭間に立たされている、本当にもろくて儚い存在だと思う。その調節が、計り知れないほど難しいことも想像できる。

 私自身、彼らの容姿にしろ、考え方にしろ、変わっていくのがさみしいと思うことがある。
 ほんのたまに、変わってほしくないと思ってしまう。
 今のままでいてほしい。とか、あの頃のあなたをもう一度見たい。とか。
 でもそれは願ったって仕方の無いことだ。
 変わったからこそ、わかることも沢山ある。
 今ではそんな考えになったんだね、とか、あの頃はそんなふうに思っていたんだね、とか、今思い返せばあれは些細なことだったね、とか。
 変わることは、悪いことばかりではない。私たちもそれによって色々とわかって、感じて、成長できるかもしれない。
 変わることを怖がらずに生きていかなければならないのだと感じる。
 すべては絶えず移ろいゆくものだから。

 だからこそ、わたしは、今日の彼らを見つめます。
 まるで、印象派絵画を描くように。
 その一瞬の光を逃さないために、キャンバスに描き留めるように。
 彼らが体の中心から放つ光を、明度の高い絵の具を混ぜないで、ぺたぺたと乗せて描いていくかのように。
 私は、彼らの光を、心のキャンバスに描き留める。
 あのクロード・モネが自然に対して抱いた崇拝と深い愛と探究心は、私がアイドルに抱くそれと、どこか似通っている気がしないでもない。


 これと関連して、私の大好きな短歌を載せます。

 桜花今日よく見てむ呉竹のひとよのほどに散りもこそすれ (後撰和歌集)

 これも、アイドルに対する自分の気持ちと似ている気がする。
 人が美しいと感じるものは、昔からそんなに変わらっていないのかもしれない。
 泡沫夢幻、諸行無常
 それは花火。それは桜。それは雲。それはしゃぼん玉。それは人。それはいのち。

 そして、私にとって、いまいちばん美しいと感じるものは、スホさんという一人の美しい人だ。
 スホさんの、仄かにきらめく海のように静謐で、鉱物の結晶のように均整のとれた透明な美しさ。光に透かしたガラスや、真冬の陽光のような、切なく、儚い美しさ。
 目に見える美しさとはまた少し趣を異にする、強く揺るぎない輝きを持った美しさ。その裏にひっそりと在る、薄暗い影。
 こんなに美しい人がほかにあるだろうか。
 こんな人の存在を知ってしまったら、見つめることを疎かにしてしまっては、とてももったいないことをしていると思う。
 スホさんも、生きている人間なので、いつかは歳をとり、今のような輝きを失い、果てはその実体すらこの世からなくなる。
 儚い。どうしようもないほど。
 毎日が儚い。今日、いま、この瞬間のスホさんは、今しかないのだと思うと。

 だから、私はとても必死に見つめます。
 モネが、一瞬の光をキャンバスに残そうとしたのと、少し似たやり方で。

スホさんというアミニズム

 なんの取得もない私だが、一つだけ、自信を持って自慢できる特技がある。
 すべてにスホさんを感じることができる、ということだ。

 例えば、私の目から見ると、空気、空、海、風、雲、川、森林…思いつく限りの美しい自然すべてにスホさんが宿っている。雨や雪、霧、台風、霜、虹などの自然現象や、星、惑星、月、太陽、などの宇宙に関するものは(スホさんはもともと宇宙人だし)もちろんのこと、花、草、木などの植物、動物といった生命にまで、スホさんを感じることができる。無機物も然り、鉱物の結晶など、それはもうスホさんである。人工物も同様に、一枚の紙を見ても、そこにスホさんを感じる。
 私が美しい、きれいだと感じるもの───ただ単に、ぱっと見の「美しい」ではなく、時には暗さ、重さなどの面を孕んだ「美しい」である───は、たいていスホさんに置き換えられて、その先にある比喩的な幻想の世界へと連れていってくれる。

 これは一種のアミニズムであると私は自己分析している。この能力があってなんの役に立つのか、という疑問があるなら、ただ一つ言いたい。
 スホさんというアミニズムは、私を癒し、元気づけ、再び立ち上がる力を与えてくれるのだ。
 日常にスホさんを感じることによって、私は日常を抜け出し、透明なスホさんの空気に浸ることができる。それによって、色々な些細な悩みを忘れることができ、少しだけ楽になれる。

 例えば、自分のことを認められないとき、自己嫌悪に陥って抜け出せなくなるとき、そんな現実から目を背けて、逃げ出したいとき。
 スホさんを心に思い描けば、私は穏やかになれる。
 ほかの誰でもなく、スホさんというこんなにすばらしい人を、自分は見つめて、応援しているのだ。ということを思い出して、そんな自分に少し誇りを持てるからかもしれない。
 そして、気分が落ち着いた後は、スホさんの生き方というものをすぐに思い出す。そして、ああ、こんな小さなことで、へこたれてはいけない。負けてはいけない。立ち上がらなくてはいけない。そう思える。
 スホさんが、度重なる不幸にも屈しず、どれだけのものを背負って、ここまで歩いてきたか。
 そんな人が言った言葉は、なんであったか。
 それを思い出したら、自分の弱さに負け続けてなんかいられないと心底思う。
 だから、少しでも早く進まなければ、と、勇気が湧いてくるのだ。 

 スホさんはこんなにも、私を進むべき方向へと導いてくれる。
 だからこそ、スホさんという神様は、精神衛生上、私にとって不可欠なのである。
 前にもこのブログで述べたが、スホさんはやはり、私の導きの星と言って間違いない。
 暗闇でしか見えない光となって、優しく照らしてくれる。
 ありがとうございます。あなたは私の一番大切な、心の星なのです。


 そして、アミニズムの話に関連して、あることを思い出したので綴ってみることにする。

 Curtainがリリースされたあの日のことだ。その日、私は特別な用事があって、夜明け前に家を出た。
 その日の空が、本当に綺麗だったのだ。まだ三日月が西の空に輝き、星が瞬いていた。去年のスホさんの誕生日にも、空が綺麗に晴れていたことを思い出した。その時にも感じたが、やはり、この宇宙もスホさんを祝福しているのだと、改めて思った。
 目的地に到着するまでの間、私は車の中で、ずっとCurtainをリピートしながら空を見ていた。遠出だったので、長いこと見上げていられた。
 この歌を聴きながら、夜明けを迎えた。
 藍色だった空が水色に近づき、山際だけだった朝焼けのオレンジ色が、だんだんと広がっていく。全体が明るくなって、空の西側まで、ほんのりと薄紫やピンク色に染まる。
 徐々に白んでいく空を眺めながら、私はただこの歌に、スホさんのどこまでも透き通った声に聴き入って、本当に色々なことを思った。自分はこれからどうしていくべきなのか。どうすればもっと、なりたい自分、あるべき自分に近づけるのか。そんなことも考えた。
 そして、そんなときに光となってくれるのがスホさんであることのありがたさに感謝した。
 きれいな歌ときれいな空ときれいな感情に包まれた、贅沢な時間だった。
 あの時間は、きっとこれからも忘れないだろうと思う。最近で、一番美しい時間だった。

 夜、用事が済み、駅の近くのバス停に降りて、駅まで歩いた。その夜も、三日月だった。朝より少し膨らんでいた。月の近くには金星が本当に大きく輝いていた。震えるほど寒かった。でも、縮こまらずに、冷たい空気をぜんぶ身に受けて、この曲を聴きながら歩いた。
 月の周りに出来る虹は、月虹(げっこう)と言うらしい。その日の月は三日月だったのに、月虹が周りを囲んでいて綺麗だった。そして、その月の淡くつややかなレモン色の光に、ゴッホにとっての「黄色」の意味と同じようなものを感じたのと同時に、私はスホさんを思った。スホさんは私の黄色だと思った。例えるならば、こういう月虹を放って輝く、澄んだ黄色。
 家につく頃には月は西に傾き、オリオン座が南の空にあった。その日は、おおいぬ座も、北斗七星も、カシオペア座も見えた。私の実家の裏は山なので、北の星座がよく見えるのは珍しいが、その日、その時間は、角度が完璧だったのだろう。どちらもギリギリ見える範囲にあった。
 やはり、天からも祝福されている、この日は絶対に特別な日だ、と、心から思った。
 星空を見上げても、やはりスホさんを感じる。いつだったか、カイくんが言っていたきれいな言葉を思い出す。スーパームーンの日のお手紙だったかな。「僕達、同じ月を見てるんだね」というようなことを、カイくんは言った。
 私もそんな気持ちになることがある。この綺麗な星空を、星が無理ならこの綺麗な月を、彼もまた見上げているかもしれない。彼らもまたひとりの人間で、こんな世界の隅っこで生きているちっぽけな自分なんかと、同じ空を見上げる同じ世界に生きているのだと思うと不思議でならない。
 でもスホさんはやはり、私にとっては、ただの同じ人間ではない。私は別の角度からもスホさんを感じる。星そのものをスホさんとするアナロジーが、無意識に私の思考に組み込まれている。
 私にとってのスホさんという存在を思えば、スホさんは、満天の星空にとりわけ明るく輝くシリウスのようである。薄く雲のかかった少し暗い夜でも、シリウスはすぐに見つけることができる。青く白く、煌々と輝いて、自分はいままでもこれからもそこにいるのだと言うように、私を安心させ、強い信頼を置かせてくれる。シリウスの輝きは、絶対的な信頼が置けて、導きの存在となってくれるという意味で、スホさんと似ている。
 また、スホさんそれ自体という客観的な存在を思えば、スホさんは、今となってはその存在すら危ういベテルギウスのようでもある。何よりも、スホさんの生き方に、ベテルギウスらしいものを感じる。彼は、永遠でないことを、その心で誰よりもきちんと理解していながら、それでも永遠という命題を信じているのだ。
 ベテルギウスがもうなかったとする。しかしそれはあたかもまだその身体を燃やして赤く輝いているかのように、なくなるなんて信じられないような光を、未だ私たちに届けている。
 永遠のように思える輝きも、いつかは失わるのだと、スホさん、そしてEXOはしっかりと認識しているのだなと、彼らの言葉を聞いていて私は思う。
 しかし同時に、スホさんは、誰よりも強く、EXOの永遠を信じている。
 スホさんが諸行無常をひとつの理念とする仏教の信徒であるというだけでなく、彼の実際の言葉からも、スホさんは、永遠がないことを細胞からいちばん認識しているはずだとわかる。それなのに、スホさんは、永遠を信じている。これは確かに矛盾している。スホさんは本当に、そういう部分が多い。美しきアンビバレンスでできている人だ。
 スホさんは、ベテルギウスのようでありたいなどと、思ったことはないだろうか。そう考えてしまうくらいには、このスホさんのアンビバレンスは、ベテルギウスにおけるそれと、どこか似ている。
 その日の空は、そんな風に、前から積み重なってきた考えが、いっぺんに思い出された、密度の濃くてすきとおった夜空だった。
 

 この日のことを思い出して、改めて考えてみたが、スホさんのあの歌がこの世に解き放たれた記念すべき日に、あんなにきれいな空ときれいな時間を過ごしたことは、やはり偶然だとは思えないのだ。
 こんなことがあったので、私はそれ以前よりも、スホさんに宇宙の息が呼応することを意識するようになったのかもしれない、と思い至った。

 改めてここに書いたこと全体を俯瞰してみると、スホさんとはやはり宗教そのものである。でもそれは決して悪い意味のものではなく、ただ尊いものとして、我々が潜在的に、当然に宇宙に対して抱く敬意と同じ類の、宗教なのではないかと思う。
 スホさんの存在そのもの、そしてスホさんという神を宿したこの世の万物に、私は救われる。
 そのありがたさを考えてみたら、思わずにはいられないのだ。色褪せぬように、汚れてしまわぬように、当たり前になってしまわないように、心の奥底の宝箱に、この感情と観念を、大切に大切にしまっておきたい、と。
 スホさんは、そんな神様だ。

シウミンさんとスホさんを考える

最近、おにいちゃんずの仲が良さげだということで、荒ぶりまくっている私です。今回はこのふたりについて少しばかり考察してみたいと思います。

まず、現在までのふたりについて。
シウミンさんとスホさんがあまり絡まないor一緒にいても特に何も起きないというのはよくあることだったが、これはよく考えれば納得がいく。

というのも、どちらも、お互いを必要以上に可愛がったりからかったりするような関係にないからだ。優しく暖かく見守る気持ちはあっても、お互いに甘えたり、とやかく世話を焼いたりしない。お互いが、お互いの望むところ、望まないところを、よくわかっているのだろうと思う。

だからこそ、余計なことは言わないし、ちょっかいを出すこともない。お互いがお互いを尊重しあっていて、大切に思っている。スホさんにとって可愛がる対象は弟達であって、年齢でいえばヒョンであるシウミンさんのことを可愛がるという概念はないように思える。シウミンさんにとってはメンバー全員が可愛がる対象だろうけれど、スホさんは別格なのではないだろうか。飛び級の関係もあるだろうが、やはり彼はリーダーだし、プライドも人一倍高いだろうから、シウミンさんにとってスホさんはただ単に可愛がる存在ではないような気がする。

ただ、シウミンさんはそんなスホさんを、とてもよく見つめている。シウミンさんは思いやりの行き届いたすばらしいひとだから、メンバー全員に対して元からそうだけれど、でもやはりスホさんのことを、心から、あたたかく見守っているのだろうな、と、特に最近の彼らを見ていて感じる。メンバーみんなにとって、自分たちのリーダーは、やっぱりかけがえのない、大切な存在であるに違いない(全員にとって全員がそうだろうけれども)。特にシウミンさんは、誰よりその思いが強いのではないだろうか。誰より責任の重いリーダーという役割を務める、自分より実質年下の弟を、あたたかい目で見守っていたいという気持ちが大きいのではないだろうか。だって、スホさんを見つめる時の、あの目、あの顔が、本当に嬉しそうで、あまりにも優しいから。

この「シウミンさんがスホさんを見守る」という構図は、最近とくに顕著になってきたように思える。やはり、昨年末のMAMA事変が契機となっているのだろうか。推測でしかないが、しかしあの出来事から、彼らが仲が良い場面をよく見かけるようになったのは事実である。MAMAの夜に語り合ったあの日から、彼らの間で何が変わったのだろうか...。

MAMA前後からの主なシュジュンモーメントをまとめておこう。(ちなみに、どーでもいいことなんですが、シウミンとスホのCP名はいくつもあるけど、しうすほとしうみょんは可愛い感じがしてなんとなく自分の中でファンタジーみたいな位置づけなので、私はちょっとリアルさを感じられるシュジュンを使用しています。あと言いやすい。)

①The EXO'rdium in 名古屋
アコースティックセッションのLady luckのとき、スホさんが立ち上がると同時にお尻をぱんぱんと払ったのだけど、そのときにファンにお尻を見せるようにしたのだ。それを横から見ていたシウミンさん、何故か笑いが止まらなくなり、次の自分のパートで声が裏返るほど面白かったらしい(ぐうカワTT)
その後のメントでも、なぜ笑ってしまったのか、スホさんの行動を説明したあと、「僕はそれを横から見てたんですよ!?」って言っていた。どれだけ面白かったのだろうか。スホさんも「笑ってくれて嬉しい」的なことを言っていた。可愛すぎた。

②161202 MAMA
事前に収録されていたビハインド映像に2人で登場。シウミンさんがスホさんを優しげな笑顔で見つめる(泣)。
この日の夜、一緒にお酒を飲んで語り合う。色々なことを話し、結局同じベッドで寝る(さらっと書いてるけど大事件)。スホさんは覚えていなかった。これはHATS'ONのサイン会で明らかになった。
(この件については前に詳しい記事を書いた。
シュジュン記念日)

③The EXO'rdium in 大阪?(動くステージだから日本で、ドームだと思うけど、どこだっけ、要検証。労力が足りずすぐには見つかりませんでした...)
動くステージの上でお手振り曲の最中、お手振りやペンサに夢中になっているスホさんを見て落っこちそうだと心配になったのか、後ろからハグして落っこちないようにしてあげるシウミンさん。でもそれにびっくりしちゃったスホさんは、シウミンさんが自分のことを心配してくれたとは思いもせず、殴るふりをしてびっくりしたことをアピールする。そのあとほんとに殴る。スホさんって結構よく殴るよね!好き...

④161226 SAF歌謡大賞
シウミンさんをエスコートする紳士なスホさん。スホさんがシウミンさんの腰に手を回して、仲良く歩いていく長兄2人。これの動画は見てるとマジでグッとくる、エスコートスホさん好き、、おにいちゃんをエスコート...グッとくる。(語彙力の喪失)

⑤170125 SOHU Interview
スホさんがお話するのを優しすぎる目で見守るシウミンさん。これもめちゃくちゃ心臓痛い。シウミンさんのお顔が優しすぎて...TTまだ見てない方は絶対みるべきです。スホさんがお話してる時のシウミンさんのお顔に注目。ドラマの額キスの質問の時はメンバー全員が興味津々って感じで聞いててメッチャ可愛い。

⑥170211 The EXO'rdium in 上海
アンフェアのときに目が合って笑い合うシュジュン。これが、この顔が、優しすぎるのです、、
そしてシウミンさんのお電話タイムでもシュジュン。(って考えると、去年の公演からお電話タイムでしゅじゅんあったか。探そう。)

こうして見ると、やっぱり我々がこんなに頻繁にモーメントを享受できることなど、前はなかったなあと思う。(それとも私のアンテナが鈍かっただけか...?)しかもシウミンさんからスホさんへの行動が多い気がする。あの事件をきっかけにして、やはりシウミンのなかでスホさんへの慈愛の気持ちがより大きくなったのだろうか。それも、意識的にというよりは無意識的・潜在的な慈愛の気持ちの高まりというふうに受け取れる。ただ人前では見せていなかっただけであって、以前から大事なメンバーに対するものとしての情愛を抱いていたに違いはないけれど。それにしても、こうして私達が確認することのできる次元で、ああいった瞬間が垣間見えることが増えた、ということは、間違いないのである。(前からアンテナ張ってればそんなことねえよって方がいらっしゃったらすみません...)

さっきシウミンさんの思いやりについて書いたけれど、シウミンさんの繊細さは、とてもいいなと思う。私、シウミンさんのそういうところが好きなんです。いつもみんなのことをよく見ていて、行き届いていて、プロ意識が半端じゃなくて、表立って引っ張るわけじゃないけど、一番、メンバー同士を強く繋いでくれている気がする。男らしい繊細さというのかな、しっかりと安心させてくれる、本当に大きな人だと思う。そんなシウミンさんと、スホさんという組み合わせ。シウミンさんはスホさんをどんな目で見ているのだろう、と、よく考える。それについて考えたことはだいたい上で述べたけれど、やっぱり事実は小説より奇なりと言われるように、妄想を軽々と超越していく(mama事件然り)彼らなので、私なぞの妄想は、きっと彼らの現実に到底及ばないことだろう。言葉では表しきれない何かがある気がする。

兎にも角にも、ふたりが仲良くしているのを見るのは、私にとって癒しであり、そして興奮材料である。おにいちゃんず絡んでるのかわいい。しかし可愛いだけではない。ふたりの絡みというのは、背景にあるお互いの微妙かつ繊細な心情が感じられて、とても物語的だと思う。リアルなふたりの友情とその影響によるFFの繁栄を、ひそかにお祈りしております…

HAPPY KAI DAY 2017

かなり遅くなっちゃったけど、カイくん、お誕生日おめでとうございます。

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私は、カイというアイドル、そしてキム・ジョンインという人間が、純粋に大好きです。

まず、お顔が凄く好き。きらめく丸い眼球を包むつるりとしたまぶたの淵。少し丸くて、その角度やスタイルの雰囲気によって優しくも獰猛にも変化する鼻のライン。ぽってり可愛らしい唇。しっかりと形のいい顎。つややかな黒い肌が、美しい。お顔全体を見た時、「やっぱりめっちゃ好き...!」と思うことが、最近多いのです。特に、目かな。表情も含めて、カイくんは本当に魅力的。キメ顔のニヤリとした顔も、心から笑った顔も、ぼーっとしている時の顔も、本当に好きなのです。そして、体のプロポーションが完璧。驚くほど短い上半身にすらりと長い手足と、きゅっと細い腰。よくぴっちりしたズボンを履いているところもとてもいい。はち切れんばかりに布を押し上げている太股が、とてもいい。もはやただ立ってるだけで震えるほど格好いい。いつ見ても嘆息するばかりです。

その体で踊るダンスは、まさに芸術。鳥肌が立つほど、感動する。どうやったら人間にそんな動きができるのかと思うほど素早い動き。絶対にぶれない軸を中心に、何かに取り憑かれたように、一瞬一瞬に命を懸け、身を削るように踊るその姿に、圧倒され、いつもハッとする。文字通り、「死ぬほど」格好いい。心臓が抉られるような衝撃を感じることもある。そして、そんなカイくんはやはり美しい。カイくんはいつ見ても、有無を言わさぬほど格好いい。

踊りだけではなく、舞台の上での体の使い方というのも、見ていて惚れ惚れする上手さ。思わずときめくのです。本当に思わず。ふとした時に、「あっ!」って心に矢が刺さるみたいな感じ。腐女子である自分の中で敢えてガチ恋枠第一位を決めるとしたら、たぶんカイくんになると思う、彼女いるけど(笑)。私は基本的にアイドルに自由に恋愛してほしいと思っているし、報道が出た後も、カイくんのことが変わらず大好きです。

そして、カイくんの歌声は、とっても甘い。私、カイくんの歌声が、本当に好きなのです。とにかく声質が凄く好み。いつもその声を聴く度に、カイくんの声はココアのようだな、と思っています。最近カイくん自身も歌に力を入れているようで、歌のパートが増えて、実は凄く嬉しいです。ラップの時の声も凄く好きだけどね。やっぱり歌だと、長く楽しめるし。

舞台の上ではさながら怪物のように踊るカイくんだけれど、ひとたび舞台を降りれば、その素顔はこれでもかというほど純粋なんですよね。胸に手を当てて、一生懸命に想いを伝える姿や、フロムスターのお手紙からは、彼は本当に心から純粋で、人を思いやる、情緒豊かな人なんだな、と感じられます。真っ直ぐで、飾らない性格で、意外と涙腺が緩くて、本が大好きで、踊りでも演技でも文章でも、表現することに長けていて。まだまだ子供っぽいところもあって、そんなところも愛しいし微笑ましい。

でもそれだけではない。カイくんが心の内に秘めた信念は、いつも熱く燃えているのでしょう。踊りに関して、いつまでも高いところにあるものを追求し続けるその情熱を、私は本当に尊敬します。カイくんが毎晩夜遅くまで熱心に練習している姿が、いつも私の頭の中にあります。そんな風に、一つを限界まで、いやそれ以上に追求できる人間になりたい、と思うのです。カイくんの雑誌のインタビューを読むのが、とても好きです。カイくんの考えを知れることが嬉しいし、ああこの人は本当に、「自分」を生きていて素敵だなあ、と感じることができて、自分も見習いたいと心から思う。

あと、カイくんの、人に接する時の距離感かな。とっても、いい。といっても、主にメンバーとかの親しい人の話だけれど。変に気遣わないし、本当に自然に、距離感が近い。人の話を聴く時に、じ...っとその人のほうを見つめるところとか、その話を聴いていて急にわっと笑い出す時の顔とか、何かを訴える時の子供のような顔とか、本当に好きです。練習生の頃は人見知りで友達もいなかったカイくんが、こんな風にメンバーと心から楽しそうにしているのを見ると、本当に嬉しくなります。

そんなカイくんを見ていると、自分まで自然にいられる気がするのです。

あと、やっぱりどう考えても、カイくんはスホさんのことが好きすぎるよね。ちょっと異常なくらいに好きだよね。どうして、スホさんが喋る時には必ずカドリル発動なの?どうして、自分がカメラに向けて喋る時でも、チラチラスホヒョンの様子を伺いながら喋るの...?(ありがとうございます)
ほんっとうに、心の拠り所感がすごい。そんなカイくんは、とっても愛しい。ああやはりカイスホは不滅であるなあと、カイくんの行動を見る度に思うのだから、やっぱりそれは間違ってないのでしょうね。これからも、たくさんスホさんに可愛がられて、たくさんスホさんを頼ってね。いつか本当に無人島に連れていけるといいね...!こちらはカイスホモーメントいつでもお待ちしておりますからね(カイスホに飢えた沼の民より)

書いてみたら、自分が自分で思ってたよりも私はカイくんが本当に大好きみたいです。何があろうと、私はカイくんのことが心の底から好きだし、ずっと応援しています。

一昨年から昨年にかけて、足を何回も怪我してしまったし、報道も出てしまい、本当に辛い思いをしたのでしょうね。報道の衝撃、そして治療中の怪我がやっと治ってきたのに、去年の7月、公演の途中で怪我をしてしまったことは、私の想像を絶するほどの苦難だったのでしょう。
あなたがどんな思いでいるのか、当時は気が気でありませんでした。あなたはこのことはSNSに流さないでと言ったようだけれど流れてきてしまった、レポがありましたね。EX'ACTのサイン会で、泣いてしまったというレポ。それを見て私は、ああやっぱりカイくんは辛かったんだろうなと、強く感じて心が痛みました。その後に出た雑誌のインタビューで「世界が終わったようだった」と語っていたから、本当の絶望に近いものを、カイくんはそのときに知ったのだろうと思います。それでも、あなたは強かった。周りにも助けてもらいながら、確実に立ち直っていったのですね。そして今、あなたはこうして私たちの前に立って、踊りを見せてくれる。本当に、ありがとうございます。あなたがいないステージは、やはりどこか物足りなく感じてしまっていたのです。復帰後初めて舞台に立った福岡公演から、完全体のEXOのステージを見ていくにつれて、あなたのいるステージがどんなに素晴らしいものだったのか、改めて思い出しました。やっぱり、EXOのセンターは、あなたなのだ、と。

きっとカイくんは、この一年でまた一回り成長できたことでしょう。これからも、怪我には気をつけて、めいっぱい踊って欲しいし、そのくしゃっとした笑顔を見ていたい。そして、ずっと格好いい姿を見せていて欲しいと思います。

2017.1.14
カイくんという宇宙の宝がこの世に誕生した、この尊き日。お誕生日おめでとうございます。
これからもカイくんが心から「へんぼっけ!」と言えますように。